台風26号 なぜ伊豆大島に特別警報が出なかったのか

今回の台風26号によって、伊豆大島に甚大な被害となりました。

台風自体の勢力や移動スピート、そして深夜の時間帯で、該当地域は停電という

複数の悪条件が重なっての災害発生となったわけです。

ここで、「避難指示」「避難勧告」が、なぜ、だされなかったのか?

防災無線での通告はなされていたとされていますが、そこも定かではありません。


■FNNニュースと読売オンラインに こういう報道がありました。

FNN.jpプライムオンライン

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131016-OYT1T00567.htm


ここで、問題とされるのは、気象庁の「特別警報」の発令基準が・・・

「5キロ四方のマス目が 10コ以上」という、不可思議な規定です。

直接に、役場には何度も気象庁から電話連絡をしていた事実があるようです。

ただ、役場としては、島民の自主避難に任せていて、「沢が氾濫した」ことを

伝えるにとどまってしまったそうです。

町長も、副町長も、公務で島外にいたというのも、指揮命令下になかった

災害対策時の緊急指示が出せなかったのも、被害が拡大した要因のひとつです。



この伊豆大島では、16日早朝4時時点で、まだ9コだったという、1コ足りないから

警報の発令に至らなかったという説を、挙げているようですね。

http://www.nhk.or.jp/ecochan-blog/400/122619.html


そもそも、「5キロ四方のマス目」は、すでに昨年のスパコンの導入から

観測可能なメッシュは縮小されて、2キロ程度の気象観測ができる技術レベルになっていたと

認識していました。 


今年の夏の「ゲリラ豪雨」「ゲリラ雷雨」の発生の頃から

民間では、スマホアプリでも、利用できていた事実があります。


あの伊豆大島の地すべりが、いったい何時に発生したのかは不明ですが

詳細な気象レーダーから、雨雲の局地的な滞留蓄積度合いをみて

あの、5キロマス目の9つの伊豆大島の被害を、もう少し回避できたのでは

ないかと、ものすごく残念に思うわけです。

過去から、火山地帯の地盤は砂地でゆるい、表面の地すべり、

植林は地表だけに根を張っていて、表面全部が剥がれ落ちやすいことは

各地の被害事例から、分かっていることです。


土石流とからみあう流木は、横になり土砂の圧力を加えて

住宅部分を、土台部分から持ち去っていきます。


自然の猛威には、人間はなすすべがないのでしょうか。

決して、そうは思いません。 そう、あきらめてはならないのです。

大切な かけがえの無い 人の生命なのですから。

・・・・・・

自分自身で 身を守るために

昨日は夢を見た
そんなに睡眠時間が長いわけでもないのに

昨日は夢を描いた

どこの職場だろう
誰が相手だろう

不動産賃貸の原状回復工事の無駄を
意見していた

あの天井の張替えが無駄なんです
入居してからも、また剥がされることもある
産廃物がまた増えるんだ
日本独特の不動産取引の礼儀なんだと
この慣習は根強いみたいだ

いい立地で周辺環境があって
人の流れが多くて、角地か1階スペース
そして、内装についてはその用途に合わせて
条件を満たしてくれる

完全に期待通りにいくのは難しいけれど
妥協できる範囲で落ち着けば、契約する意味がある

もちろん、賃貸料金は大きな決め手となる
坪単価が安いとか、月払いの分割の配慮があるとか
個人経営の店舗を開くには、大家さんの
あたたかみは、とても嬉しいはず。

借り主と貸主の間がら、条件を知る機会がなければ
出会いもないし、新たなスタートもない

求める条件には、利害関係が存在するが
互いの歩み寄りで、物事が動き出すことはある
そのあいだに介して 新しい可能性を生み出したい

夢は観るだけのものだけでは
それに向かって、進んでいく

夢を叶えるための 懸命さが輝きを増す
成功や 失敗はあるかもしれない
でも、それは いづれの状態でも
未来にむかって、プラスなることは間違いない

何もしない、周りの期待どおりに生きていく
自分のあり方を、本気で考える機会もなく
残りの人生を 決まった経路だけの路線バスに
乗っけてしまうということ
それは、果たして逃れられない生き方なのだろうか

一人でできることには限界はあるだろう
でも、その一人で立ち上がることをしなければ
すべて、環境の支配下にあるということ。
会社依存、顧客迎合の一途をたどる道しかない。

本当の自分を 本来の自分を
新しい道に 進めていくのは 自分の決断しかない。
早すぎない 遅すぎない 目の前にタイミングは
きているのだろう 

その瞬間をコントロールのは、今しかできないのだから。

東京五輪2020 開催決定に想う

中学、高校、大学とバスケットに無我夢中になった
その青年は、九州熊本で青年期を過ごした。
ずっと、あのボールを3m5cmのリングに沈めて
何度も何度も繰り返し、床を蹴って跳び上がり
四角いコートを駆け抜けた

そして・・・・年月は経ち
いまや、青年は青年の思いのまま
50歳の年齢を この東京で迎えた。

お詫び>以下の動画はすでに非公開になっています。

決まった!大きなポイントが決まった!
未来へむけての劇的なシュートだ。

2020年には、東京オリンピックが再来する。
また、大きな車輪が回り出す。
この東京が変わっていく
この日本が動き出す。

産業も、経済も、観光も
文化も歴史も ・・・ それぞれが一斉に
世界に開かれてゆく。

間違いなく、予想を超えた事がが起こっていく
成り行きにまかせるのも 自分
何かを起こすのは、自分次第だ。

ほんとのチームプレイは、仲間とのもたれあいではない。
自分が自立することだ。
自分をとことん、鍛えて強くすることだ。

あのころの、バスケット部監督の言葉が響いてくる。
青年50歳は、またこれから動き出す。
そんな、この日に思いを決めて、
未来のこどもたちと、あの頃の自分を映像に重ねる。

・・・・・

夜明けから 雷鳴ひびく

夏のさいごの、いたずらか


早朝から落雷の音に 目が覚めた

雷鳴が畳み掛けるように あとにつづく

朝5時半の目覚まし時計にしては、おふざけが過ぎている。


東京都内は、とても騒騒しい朝を迎えて、スタートさせられた。



それにしても、連日 度が過ぎたいたずらといえる

月曜日から、越谷から野田市への

竜巻の猛威

そして、水曜日は栃木でも竜巻発生


雨水害としては、岐阜や名古屋市でもひざ上まで

街中が冠水している模様



温暖化の影響といわれて久しい

8月の平均気温は、例年とくらべて2℃から2.5℃くらい

平年気温よりも高かったという数値が出たそうだ



都会のアスファルト、コンクリート

空調機器の室外機の排気などから、その熱波は

埼玉や栃木方面に、押し流されて 異常な高音を招くという


今回の竜巻発生は、この地上の気温と、上空の気温の格差に

よって、積乱雲が過度に生み出されて(スーパーセル

そこに、上昇気流が発生して、巨大な渦を、天空に巻き上げた

現象らしい


自然災害としては、そのメカニズムに興味はあるが

災害を受けた地域の住民のみなさんは、たまったものじゃない。



そして、被害をうけて、応急措置だけの

屋根や壁に穴のあいた、家屋に、

重ねて、今朝のような集中豪雨が襲ってくるとは・・・。





一日でも早く、日常生活に復旧できるよう

自治体や政府の支援も、必要とされるところです。


今後の経過を、追っていこうと思います。

男子中学2年生 6月の憂い

言葉に敏感になって、

それが過剰な 自分への認証となって

本人の胸のうちに響く


一般の中流家庭に生まれ育ち

クラスでの成績も上位にあって

部活やクラス委員にも 立候補して

それでも


いい子で 居続けることは、少しずつ

本人のなかで、負担となって蓄積していったのだろうか


演技をすること、失敗はしていけない

自分のなかで、親の期待を裏切ることは

許されないことなんだろうから

父親に相談したくても、一緒に過ごす時間もない

日々、仕事や付き合いで帰りが遅くて

疲れた顔をみて、さらに疲れさせる相談なんてできない。


期待していることに 応えられていた自分は まだよかった

でも、いまは 違った自分が ここにいる


1つ目に そんな自分が許せない

2つ目に 自分に死ねという 周りにも ・・・・

提出物さえも 約束通りに出せていない自分は

どうすればいいだろう

・・・・・・ (本人の遺書めいたメモから)



男子中学生の2年生 6月頃は、 そういう葛藤にかられる時季だと

尾木ママは、意見していました(ミヤネさんの番組)

それを、聞いてあげて 認めてあげる事が

先生たちや 親がしてあげることだという アドバイスがつづいた。


担任の女性教師も、カメラ無しのマスコミ会見にのぞんだ

ことの経緯は分からない。

「マスコミの記事表現も、またさまざまになるだろう。

そしてそれを、知ったひとも

解釈はさまざまになるだろう」と・・・担任教師のことばから、

 ある意味、自己弁護の冷めた感覚に思える。


さらに、続く 正当性の主張と受け取れる


「子供たちのあいだでは

 死ね > うざい >キモいが 挨拶代わりになっている」

それを、せいいっぱい注意して、子供たちに言い聞かせてきたという。

学校の秩序、社会の秩序を教えていくこと

それを体現していくことを指導する、これは教師の役割でもある。


たしかに、コミュニケーション手段の激変は

社会的な現実として否定できない

ネット社会、裏掲示板、ツイッター、LINE  

陰湿な 他人評価 仲間はずし・・・・擬似的な同質の仲間意識を

醸成させていく。


異なる考えや、違った価値観があって

それを意見することで、それぞれの子供は成長していく

意見がぶつかることはあってもいい

それでも、人格を否定するようなことがあってはならない

なおさら、本人のいないところで、陰口をいうことは陰湿で悪質ともいえる


単一民族国家で 同一の言語をつかう国民

アジアの片隅の この日本では 

若者たちが、どんどん内側に向かっていっているような印象を受ける。

・・・・もっと

学校や、学習塾、部活などに 過剰に依存せずに

家庭のなかで、地域社会のなかで 子どもたちを育成していく

ことが重要になってきていると感じる



実際に、職業がら体験的に思えることとして

「自立心」が なりをひそめて

「依存心」「責任転嫁」が強まっていることは

企業人事をやっていても、わたしも感じることであるから。

もう一度 大空に向かって

こんなことを考える。

三浦雄一郎さんが、80歳でエベレスト山登頂に成功されて
百田尚樹さんは、50歳ちょうどの2006年に、

繁盛中の放送作家から転進されいている。

ゼロリセットで、未知の分野に立ち入り作家デビューを果たす。

しばらくは、刻苦勉励の辛い月日を過ごして、生活もぐらついたと聞く。

徹底的に 事実調査をやりぬいて、広範囲なジャンルを題材とする。
2013年本屋大賞受賞作 「海賊と呼ばれた男」において
ベストセラー本として周知されるところに至った。

年齢なんて それは言い訳でしかない。

新しいことを始める時には、いろんな障害や不安はつきものだろう。

40歳すぎたころから、急にまるくなって、カドが取れて
無難にサラリーマン生活で 安全飛行。

会社組織のなかで、大過なく日々を送ってしまうことが
少なくないように思える。

でも、本来の自分らしい姿は どこにいったのだろう?

きっと、いまの仕事のあり方や、自分の置かれた場所に
満足はしていないように思える

それでも、どうしようもないと 自ら言い聞かせたり、
どうにか 正当化して納得させようと努力している

あるいは、そんなことを深く考えずに
気がるに シゴトをさばいて、 夜の居酒屋で
憂さ晴らしをして 日々を流して済ませる


こんな年齢で 何ができるというのか
いまさら、昇進の可能性も有り得ないだろうし
昇格試験に申し出て、 高給取りの管理職になれるはずもない

なら、個人で起業するか、店舗経営をするかとなると
資金がないから、それもダメだと蓋をする


それなら、いざ転職かと 思いはよぎっても
「嫁さんもいる 子供もいる」

自分勝手なことはできないと
その思いを 引っ込めてしまう

ただ、ほんとうに 家庭を大事にして 
いつもいつも 家族を思い描きながら
一生懸命に 働き抜いていると 公言できるだろうか?

そこには、多少のウソやごまかしは、無いだろうか?
真実の姿は、家にごろごろしているだけで、家族から嫌がられたり

「新聞、メシ、風呂!」って、言っている様子からし
それが、家族思いの ダンナの態度なのだろうか


常に、べたべたと 向かい合うことが 親子愛ではないように
思えるのだが どうなんだろう

本気で 自分の進みたい道 自分を高めるために
壁にぶつかっていく そういう生き方を
選ぶことがあってもいいと思う

サラリーマン生活 40年間において ずっと耐えぬき
我慢している 

それは 家族のためなんだという思い込みは
かならずしも健全だとはいえない場合もある

ややもすれば、
「いったい、誰のために ここまでして 働いてんだ!
 メシを食わせているは、この俺だからな」

このセリフを 言ったか 言わないか別として
こころの中に 共感する自分がいれば、同類項ってこと。


これまでもこれからも、人生のハンドルを自分で操作することなく、
後部座席に乗っかったまま、会社と運命を共にする




もっと いよいよ加齢を迎えて・・・・

長い4000メートルの滑走路が途切れる

雑草に茂ったフェンスの際で
サビついていく 飛行機で終わるしか無いというのか

それで、自分の人生を あきらめていいのだろうか

「仕事人生が40年」

「飛行機の滑走路が4000メートル」

何か 共通点を感じてしまう

実際に 飛行機は 全体の距離の7割り程度の地点まで
歳代加速を増しながら、機首を持ち上げて 大空に舞う

どうだろうか いい時季を迎えているのではないか
サラリーマン生活の7割という、およそ50歳前後
ということになるが、
この年令で、大空に舞うという選択肢が、
あってもいいのではないか

世の中の鉄則なのか 世間の常識なのか
転職なんてできるはずがない。というから。

それが、正解なんて他人が決めることでもない
それって、本人が勝手に決め込んだ限界ではないのか


一度限りの 自分の人生のなかで

もっと もっと
違った世界で 新しい環境で 再挑戦してみるのは
将来にむけた覚悟があれば、
きっと実現できると思える。

自分を飼い殺しにしてしまうのも 自分
自分を最大限に活かすことも 自分

何もやらずに、いまおかれた環境に流されて 
サビついた オンボロ飛行機になるくらいなら、

思い切って 大空に飛び立ってみたほうがいい。
きっと、どんな悪天候にみまわれても
この日本では のたれ死するほど、不遇な国ではないから

・・・・さあ、アー・ユー・レディ!





誰のためでもなく 自分のために
気持ちを確かめておきたかった。

世代は変わる 夢ある未来を

月曜日に小学校の入学式に参加してきました。
印象的な話に、10年ぶりに新一年生が2クラスに
なったとの話がありました。18人の2クラスです。

僕らの時代は、東京オリンピック時代。
40人ほどで12クラスが同じ学年だったことを
覚えています。単純に500人が1学年。
全校朝礼のときになると、3000人が校庭に
列をつくって一斉に並んでいたんだから、ほんとにスゴイ世代だった。

その世代が両親となって、わが子どもたちを
育て上げてきて、社会へ送り出している。


●校長先生からの、言葉はこんな内容だった。
これからの生活で、守っていってほしいことが3つあります。
 「あいさつ」
 「かんがえる」
 「はなす」
それぞれ、自分の意志をもって、周りに伝えること
その大事さを6歳の子どもたちに教えてくださった。

大人の世界でも、大学生でも、新社会人でも
30歳過ぎたサラリーマンであっても、
これらのことは。とても大事なことだろうと思う。
日々同じことの繰り返しと決めつけたら、何の刺激も
感動も、そして喜びも少ない。

新一年生たちは、変化に満ちたなかで、期待と不安感を
もって、この4月をスタートしたんです。
4月に節目に、新入社員を迎えて、仕事を教えたり
あいさつをすることでも、新鮮な気持ちになれる
気がします。



また、50歳になるおっさんリーマンは
日々新たな思いで、今日から始めていきますーーーー!

こどもの未来、夢を持てる明るい社会を創るのは
大人たちの役目だと思います。

やれることを、やり続ける、一貫してやり通す
大事なことだと思います。