もう一度 大空に向かって

こんなことを考える。

三浦雄一郎さんが、80歳でエベレスト山登頂に成功されて
百田尚樹さんは、50歳ちょうどの2006年に、

繁盛中の放送作家から転進されいている。

ゼロリセットで、未知の分野に立ち入り作家デビューを果たす。

しばらくは、刻苦勉励の辛い月日を過ごして、生活もぐらついたと聞く。

徹底的に 事実調査をやりぬいて、広範囲なジャンルを題材とする。
2013年本屋大賞受賞作 「海賊と呼ばれた男」において
ベストセラー本として周知されるところに至った。

年齢なんて それは言い訳でしかない。

新しいことを始める時には、いろんな障害や不安はつきものだろう。

40歳すぎたころから、急にまるくなって、カドが取れて
無難にサラリーマン生活で 安全飛行。

会社組織のなかで、大過なく日々を送ってしまうことが
少なくないように思える。

でも、本来の自分らしい姿は どこにいったのだろう?

きっと、いまの仕事のあり方や、自分の置かれた場所に
満足はしていないように思える

それでも、どうしようもないと 自ら言い聞かせたり、
どうにか 正当化して納得させようと努力している

あるいは、そんなことを深く考えずに
気がるに シゴトをさばいて、 夜の居酒屋で
憂さ晴らしをして 日々を流して済ませる


こんな年齢で 何ができるというのか
いまさら、昇進の可能性も有り得ないだろうし
昇格試験に申し出て、 高給取りの管理職になれるはずもない

なら、個人で起業するか、店舗経営をするかとなると
資金がないから、それもダメだと蓋をする


それなら、いざ転職かと 思いはよぎっても
「嫁さんもいる 子供もいる」

自分勝手なことはできないと
その思いを 引っ込めてしまう

ただ、ほんとうに 家庭を大事にして 
いつもいつも 家族を思い描きながら
一生懸命に 働き抜いていると 公言できるだろうか?

そこには、多少のウソやごまかしは、無いだろうか?
真実の姿は、家にごろごろしているだけで、家族から嫌がられたり

「新聞、メシ、風呂!」って、言っている様子からし
それが、家族思いの ダンナの態度なのだろうか


常に、べたべたと 向かい合うことが 親子愛ではないように
思えるのだが どうなんだろう

本気で 自分の進みたい道 自分を高めるために
壁にぶつかっていく そういう生き方を
選ぶことがあってもいいと思う

サラリーマン生活 40年間において ずっと耐えぬき
我慢している 

それは 家族のためなんだという思い込みは
かならずしも健全だとはいえない場合もある

ややもすれば、
「いったい、誰のために ここまでして 働いてんだ!
 メシを食わせているは、この俺だからな」

このセリフを 言ったか 言わないか別として
こころの中に 共感する自分がいれば、同類項ってこと。


これまでもこれからも、人生のハンドルを自分で操作することなく、
後部座席に乗っかったまま、会社と運命を共にする




もっと いよいよ加齢を迎えて・・・・

長い4000メートルの滑走路が途切れる

雑草に茂ったフェンスの際で
サビついていく 飛行機で終わるしか無いというのか

それで、自分の人生を あきらめていいのだろうか

「仕事人生が40年」

「飛行機の滑走路が4000メートル」

何か 共通点を感じてしまう

実際に 飛行機は 全体の距離の7割り程度の地点まで
歳代加速を増しながら、機首を持ち上げて 大空に舞う

どうだろうか いい時季を迎えているのではないか
サラリーマン生活の7割という、およそ50歳前後
ということになるが、
この年令で、大空に舞うという選択肢が、
あってもいいのではないか

世の中の鉄則なのか 世間の常識なのか
転職なんてできるはずがない。というから。

それが、正解なんて他人が決めることでもない
それって、本人が勝手に決め込んだ限界ではないのか


一度限りの 自分の人生のなかで

もっと もっと
違った世界で 新しい環境で 再挑戦してみるのは
将来にむけた覚悟があれば、
きっと実現できると思える。

自分を飼い殺しにしてしまうのも 自分
自分を最大限に活かすことも 自分

何もやらずに、いまおかれた環境に流されて 
サビついた オンボロ飛行機になるくらいなら、

思い切って 大空に飛び立ってみたほうがいい。
きっと、どんな悪天候にみまわれても
この日本では のたれ死するほど、不遇な国ではないから

・・・・さあ、アー・ユー・レディ!





誰のためでもなく 自分のために
気持ちを確かめておきたかった。