後悔は 安易な自己満足

「もっと早く出会っていればよかった」
「もっと、いぜんに知っておけばよかった」

というのは後悔の念。

その人が、ものごとに対して
後悔の念を抱くという姿勢は、ほとんどの場合繰り返す。


「もっと早く〜してればよかった」という後悔の念は、
裏を返せば

「今からでは何をやったって遅いし無駄だ」
という諦めを表す。
そして、そのささやき声をまた、自己暗示のように
頭のなかに響かせて、納得をはかる

これは実に、 安易でお気楽な選択肢だ。

生きる姿勢を変えるとか、
考え方を変えることほど面倒なことはない。

「手遅れ」であれば、努力をする必要はないし、
努力をしない自分を責める必要もないのだ。



人はほうっておくと、知らず知らずのうちに、
願わくば自分では変わる努力はせず、

他者や環境が、整っていき、好みの通りに変わって
自分を満たしてくれればいいなんて 甘く望む生き物。

ところが、自分をコントロールしない自分がいて
自分の好みの通りに生きることができていないのに、
それを他人任せにするのは本末転倒もはなはだしい。



今から違いや、変化を起こすことは本当に手遅れなのか?
今から未来に違いや、変化を起こすことは価値がないのか?

過去の出来事が変わらない限り今や未来は台無しなのか?

もちろん、そんなことはない。

「昨日までのことで、いじけたり、明日からのことが心配なのは
 今日を精一杯、考えて生き抜いていないからだ」



いうまでもなく、企業内トレーナーである私の姿勢やもののとらえ方のせい。

それもあってのことだから、もっと謙虚に 全体をみて個人をみて
私の感情は、やっぱり私の責任である。

であるならば、さてと、どんな態度を選ぼうか…
ついつい、環境影響度を測ってみたくなる。