「優柔不断」は、「人に優しい」ことがある

「優柔不断」は「人に優しい」と読み替えることにしよう。
自分で安心するための自己暗示みたいなものだ。

だって、よく聞くのが、「誰々って優柔不断なところあるよね」って
まわりがある個人に対しての評価だ。

「他人から言われることはよく聞くのはうまい」けれども
「だけど、自分で決断するときはあいまいになるよね」
それを、優柔不断と呼ぶらしいが・・。

ほんとに悪い面だけだろうか?
これらの見方は短所という一面だけで決めつけてしまうところに
あるからだ。
「他人には優しい」「人目が気になる」・・・人からどう思われているかって
やっぱり気になるじゃない。

部下の仕事が大していい結果じゃなくても、「よく頑張ったね、こんな
結果が出せてよかった」って、まずは声かけをしてあげたい。

身近で社内の相手に対しては、いつもそれではいけないらしい。
もっと厳しく指摘をして、作業の途中からでも効率的にできる
方法を指示するのが上司の役目であるはず。。

何でも、テキパキと白黒と、決定づけることの本意はそっちのけで
仕事の結果に結びつけるのが、「明快な指導」なのだろうか?

でもこれって、会社から一歩でて、あるいは社外の訪問先との
付き合いの上でのエチケットやマナーとしては大切な能力だったり
するんだよね。
だから、全部が全部・・・自分の弱点や短所として、悪く決めつける
必要は無いということだ。
自分はそういうふうに、両面に解釈をしておくことにしている。
それでも、根拠があればバランスは取れることである。